どうも、ふじい編集長です。今日はちょっとコラム的なものを書こうと思います。真面目な文章や"有益"と言われるような文章ばかりもそろそろ飽きてきたと思うので、今日はあんま"それ"とは関係ない話をします。
今日話すのは「僕がライターを始めたきっかけ」について。
これはいろんな人に聞かれるんですが、僕の答えは一つです。
「場所に縛られず、海外を渡りながら仕事がしたい」という想いでした。
そこには、決して意識高い系の目標なんてものはありませんでした。
ライティングスキルがどうのとか、将来性がどうのとかでライターを選んだわけではありません。
少しでも僕の理想の人生に近づけてくれるであろう選択肢を選んだだけです。
みなさんも、ライターになった動機って案外単純だったりしませんか?僕は本当に単純だったんですが、そんな動機でも、なんとか頑張ってここまで上り詰めました。
まあ、動機なんてなんでも良いと思います。それが自分のエネルギーになって仕事に活かされるなら、もうなんだって良いんじゃないかと。
さてそれでは、僕が最初に抱いた「海外に行きながら仕事がしたい」という動機を振り返えるとします。
最初のきっかけは大学時代に行ったセブ島
ライターを始めるきっかけとなったのが「フィリピンのセブ島」でした。
フィリピンのセブは、僕が最初に行った海外の地。
僕は大学時代に投資の勉強も兼ねて始めた株式投資で、何と奇跡的に投資額の倍のリターンを手にしたので、そのお金を全額ぶっ込んでセブ島に英語留学しにいきました。
期間は1ヶ月。僕は「英語の勉強」をするためにセブ島のアヤラモールというショッピングモールの屋上にあるBARに毎日通い詰めて、女性スタッフと英会話してました。
「初めて来たけど、海外ってやっぱいいな。なんか、日本の常識って海外だと非常識なんだな...。色んな価値観があって楽しい!もっともっとフィリピンについて知りたい!」
そう思っていたのですが、ついに日本へ帰国する時がやってきました。
その時、ふと僕は思ったのです。
「あれ、俺ってなんで帰らないとダメなんやっけ。」
僕は当時大学4年の前期でしたが、授業がまだ残ってたので日本に帰国して大学に帰国する必要がありました。
だから僕は泣く泣く日本へ帰国。
フィリピンで仲良くなった友達とも、多分それで一生会うこともないんだろうなって思うと、なんかすごく切ない気持ちになった。
留学時代に仲良くなった英語の先生。名前はパトリック。
まあ普通に考えれば当たり前のことだったんですが、僕はその「当たり前」を疑うようになったんです。
「なんで、僕たちは好きな時に好きな場所に居続けられないんだろう...」
大学時代に日本から出る経験をしなかったら、こんなことすらも考えなかったと思います。
これだけ世界は広いのに、なんで「学校」とか「会社」とか、特定の組織のために、ずっと同じ場所にいなきゃなんないんだろうって思って。(今思えば、一つの場所で何かを極めるっていう経験はやっぱり貴重だなとも思うが、当時の僕にはそうは思えなかった)
まだ社会にも出ていない、これから何者にでもなれる状態だった大学生の僕は「いつか、絶対に海外へ戻ってくる」と心に誓い、僕は飛行機でフィリピンの地を離れました。
当時流行っていた「ブロガー」が僕に海外ノマドのヒントをくれた。
社会人になったその後も僕は会社で有給を取って、タイやフィリピンに旅行に出かけた。
タイで激辛のご飯を食べたり
ソイカウボーイという歓楽街に一人で乗り込んだり
フィリピンで一人でビールひっかけたり、
ただ、僕は有給を取って旅行に来てたから、長くても3泊4日くらいしかできなかった。
ちょっと海外に行ったら、すぐに会社。
たとえ海外に行けたとしても、すぐに戻らなくちゃならない。なんでかって、僕は会社に雇われている人間だから。
今はコロナ禍の影響もあって在宅ワークが浸透していますが、当時はそんなものありません。
だから、どうしても「会社に通う=日本に居続ける=ずっと同じ場所で働く」という条件からは逃れられなかったのです。
もちろん、ノマドだけが正解ではありません。たしかに場所を移動しながら仕事してたら効率も落ちるし、仕事も中途半端になるかもしれません。
ただ、当時の僕にとっては「場所の自由」を手に入れたくて仕方がなかったのです。
とはいえ、それを実現させる手段なんてないし、起業できるほどのスキルもないし、どうしようかと思ってました。
しかし、ここから僕の進む道は少しずつ変わってきます。
たしか、このタイミングで僕の目に映ったのが「ブロガー」でした。
僕が新卒だったのは2017年。当時は「プロブロガー」と言われる人たちがTwitterに何人もいました。
例えば沖プロの沖さんもその一人で、彼はトップブロガーとして業界ではかなり有名だったんです(もちろん今も)。
「ブロガーかあ。いいなあ。ブログって、場所に縛られずに生きていけるやん。まさに、俺が憧れてたライフスタイルを送れるんちゃうの」と。
そこから僕は「ブロガー」について調べるようになったんですが、そこで発見したのがマナブさんです。
彼はバンコク(もしかしたら当時はセブ島だったかも)で暮らしながら、ブログで生活していたのです。
「すげー!そんなんほんまにできるんや!!」
素直にすごいと思った。それなのに、自分は何してるんだろうってちょっと自信を失ったりもした。
たしかに自分は大きな証券会社にいるけど、偉くもなんともない。むしろ「自由に生きたい」と思っていながらも「会社に毎日通ってる自分」って、めちゃくちゃダセーとも思ってた(笑)
知り合いから「ライター」という仕事があることを教えてもらう
2017年12月。「このままでは本当に会社に飲み込まれる。俺の自分に一切の嘘をつくことなく、自由奔放に仕事をして生きる計画は実行されないまま終わるのか...」そう思いながらも、結局何も行動できずにただ毎日デスクに座ってパソコンかちゃかちゃやるだけの日々が続きました。
しかし、ここからまた新たな出会いがあります。
大学時代に知り合った大阪でフリーランスやってる知人のMさんから、メッセンジャー経由で一通のメッセージをもらいます。
「ふじいくん最近元気?ちょっと僕今東京きてるから、飯でも行かへん?」
ぼく「いきます!!!てかMさん、フリーランスですよね?僕も独立したいんっすよぉ!!ちょっとのし上がるコツ教えてください!」
そう言って、僕は六本木の裏路地にあるバルにいきました。
ぼく「Mさんって、今どんな仕事してるんですか?」
僕は聞いた。そして、彼から返ってきた言葉。
「俺?ライターやで。」
ぼく「ライターですか?火付けるライターじゃなくて...?」
「ちゃうわwww文章を書いてお金をもらう仕事やねん。」
僕はこの時、衝撃が走った。
いや、文章書いて仕事がもらえんのかと。
僕は元々「文才がある」と言われていた。Facebookに日記のような投稿を毎日書いたり、社内の論文で早慶生や東大生を押しのけて優秀賞を取ってしまうほど、文章には才能があったと思うし、文章を書いてて楽しかった。
「こ、これだぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
と、心の中で叫びました。
ブロガーはなんだか気が引ける。だって、ブログをいきなり運営しても収益に結びつくのは遅いし、SEOのこととか全然わかんないし。
何より、自分がサイトのオーナーになって記事を作っていく実感が全く湧かなかった。
でも、ライターならいける。
そう思った。ライターはいわば「買取型」のビジネスモデル。なので自分が書いた記事に対して、確実にお金が支払われます。
つまり、リスクを背負うことなく副業ができるということ。昔は今ほど副業のラインナップが広まってませんでした。
プログラミングやデザインなんかはあったかもしれませんが、動画編集もそこまでメジャーではなかったです。
だから「俺にはライターしかない」と思えたのかもしれません。
空に、そのMさんはライターとして自宅で仕事をしていると聞きました。そしてたまにカフェで仕事をしたりもすると言っていたので、もうここで僕のやるべきことは明確になりました。
「これだ。これしかない」
ライターになって、今の自分はまだ見たことのない無限の可能性を掴みたい。
「誰が日本に居続けないといけないって言った?俺は、自分が生きたいところに好きなように行く。」
というエネルギーが、ある意味僕の人生を変えてくれました。
一見「好きな場所で働きたい」なんて、ビジネスにおいては何の合理性もありません。
しかし、その非合理なエネルギーが、僕をものすごく成長させてくれたし、やる気にさせてくれたし、僕の原動力になってくれたのです。
想いは現実化する。
そんなこんなで、僕は「海外で自由に働きたい」という強い動機を持ってライターになりました。
僕は2018年の3月に会社を辞めて、6月には無事海外ノマド生活が始まりました。
僕は自分自身で、自分が思い描いた理想を現実にできたのです。この成功体験は、今でも僕の強い自信になっています。
当時は収入こそ月20万円〜30万円程度でしたが、それでも僕は「自分の望んだ生き方」を体現できたことに満足していました。
自分の人生は自分のものです。たとえ人よりも数字が劣っていようが、自分がよければ全て良しです。
今でこそ日本で法人化し、仕事に集中する生活になってきましたが、それはそれで良し。
今、みなさんはどんな目標があってライターをやってますか?
想いは必ず現実化するので、ぜひ自分の理想の人生を引き寄せてください、
という話でした!
次は「ライターをやろう!」と決めてからどんな活動をしたのかという、僕の副業ストーリーをざっくばらんに書こうかなと思います(気が向いたら)
もし続きも気になるって方がいればコメントください。それが続きを書くモチベーションになります笑